2015年

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」特別編

『夜明け前』の「電気情報通信」 いわゆる「幕末・明治モノ」の中で圧倒的な存在なのが島崎藤村の「夜明け前」だ。この文学作品に凝縮された迫真の歴史スペクタクルに「電気情報通信」は姿を現すか? もちろん、それは極めて印象深い場面で登場し、その姿は…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(6)

林望:「薩摩スチューデント、西へ」 「幕末・明治モノ」というと明治維新がいくら無血革命だったと言っても、実際には沢山の血が流れたし、また思想的にもめまぐるしい戦いがあり、どちらかというと肩の凝る物語になりがちだ。そんな中、ひたすら爽やかな青…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(5)

「佐久間象山」:松本健一に導かれて(下)天下にかかわり有るを知る 松本健一に導かれての「佐久間象山」、再び「電信」が登場するのは、弟子の吉田松陰下田踏海事件に連座し、幽閉生活になって、その中でも生活の管理が一段と厳しくなってから2年目あたり…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(4)

「佐久間象山」:松本健一に導かれて(上) 象山神社の謎 長野に知人ができ、しばしば訪れるようになった。東京から訪問すると筆者の趣向を見計らって近隣を案内していただける。今夏はもちろんまずは善光寺ご開帳。賑わう門前を楽しんだあとに、プラス・ア…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(3)

岩倉使節団の世界旅行 久米邦武の「米欧回覧実記」(下) 欧州・亜細亜 米国・ボストンから大西洋を渡った岩倉使節団の旅、イギリスはリバプールに上陸して、エジンバラ、ハイランド地方、ニューカッスル、ブラッドフォード、シェフィールド、バーミンガム、…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(2)

岩倉使節団の世界旅行 久米邦武の「米欧回覧実記」(上)〜米国〜 明治四年(1871)に横浜港を出発した岩倉使節団の1年10ヶ月におよぶ世界一周視察旅行は、不発に終わった不平等条約改正交渉という目的を越えて、その後の日本だけでなく、アジア、そして世界…

「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(1)

プリンス・トクガワと渋沢栄一、そして栗本鋤雲 「電気情報通信」は近代国家の屋台骨を支えているのだが、気のせいか、その存在が歴史の表舞台に露出する場面は少ない。社会基盤というのはそういうものかも知れない。革命期の幕末、明治ではどうだろう。いわ…

CEATEC JAPAN 2015へ行ってきた いろいろ見れたビジュアル・レポ(4)

IPAもIoTにまっしぐら この展示会、いろいろ言われているが、行って見なくてはわからない。現地はやっぱり凄い、いろいろあるじゃないか、という感じ。以下、目についた展示のビジュアル・レポの4回目。 情報処理推進機構(IPA)もIoTへまっしぐらだ。 日中…

CEATEC JAPAN 2015へ行ってきた いろいろ見れたビジュアル・レポ(3)

自動車もテーマ この展示会、いろいろ言われているが、行って見なくてはわからない。現地はやっぱり凄い、いろいろあるじゃないか、という感じ。以下、目についた展示のビジュアル・レポの3回目。<< 空や宇宙ばかりでなく自動車もこの展示会の重要テーマだ…

CEATEC JAPAN 2015へ行ってきた いろいろ見れたビジュアル・レポ(2)

ドローンがいっぱい この展示会、いろいろ言われているが、行って見なくてはわからない。現地はやっぱり凄い、いろいろあるじゃないか、という感じ。以下、目についた展示のビジュアル・レポの2回目。<<まるで航空母艦。こんなに手軽では、あっという間に普…

私の「南蛮のみち」〜マデイラ・アイランドへ行ってきた〜②

そういえば、マヨルカ島の国際会議では、島の少し内陸に入ったところ のバレアレス諸島大学のツーリズム学部のお世話になっていた。近代的な とても立派な大学キャンパスで、ここではホテル型のフルサービスの昼食 が出た。学部の実習とい…

私の「南蛮のみち」〜マデイラ・アイランドへ行ってきた〜①

機会があってここ10年ほど毎年のようにソフトウェア・エンジニアリングに関する国際会議に論文発表などで参加してきた。その開催場所はオリンピックにも似て、それぞれ誘致する研究グループなどによって脈絡無く世界各地を持ち回る。おかげで参加する者とし…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(13=完=)

外交。また外交 米国カリフォルニア州での日本人排斥政策の具体化で、各州の独立性を思い知った明治政府は、政府間だけでなく国民外交の必要性を痛感した。 東京、王子、飛鳥山、渋沢史料館で 明治四十一年(1908)の末になって外務大臣小村寿太郎は商業会議…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(12)

日米外交逼迫のなかで 移民排斥をめぐって日米関係が急迫する中、明治三十九年(1906)4月、サンフランシスコ大地震が発生した。日本赤十字社が救済義捐金を募集し、渋沢栄一は各企業に寄付を依頼、日本からの寄付金は25万ドルを超え、この額は全世界からの…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(11)

再訪の欧州で 明治三十五年(1902)、62歳の渋沢栄一は半年に及んで欧米を歴訪した。その最後の1ヶ月はロンドンを拠点とした欧州巡行だった。それは幕末、徳川昭武に随行してパリを拠点に滞在してから実に39年ぶりの欧州である。この間渋沢栄一個人にとって…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(10)

授爵そして国民外交 津本陽「小説 渋沢栄一」、終段に来て授爵の話題がある。団塊世代にはピンとこないが、いくつかの大きな含意がある。 晩香廬(東京、王子:飛鳥山) 爵位については、以前、幕末の歴史を概観しているなかで、江戸時代のいわゆる大名家、3…

Japan IT Week[春]に「ちょっとだけ」行ってきた

東京ビッグサイトの巨大展示会、リード エグジビジョン ジャパン(株)主催の『Japan IT Week[春]』は12種の展示会が合体した催しで、その巨大さ、人波に、気力、体力が及ばず、ちょっと垣間見た程度だが、それでも刺激一杯だった。 特別講演の聴講申し込…

ソフトウェアとコトバ(12) GOTO Letter をめぐって

CACM誌でプログラム構造化定理に出会った1966年春からの数年間,わたし自身の個人的生活環境は目まぐるしく変化した.それまで5年ほど勤めていたコンピュータ・メーカの子会社を退職して某計算センターに移ったが,そこでの仕事に飽き足らずに友人たちとソ…

上海雑踏事故から見る中国

Wikipediaで「上海雑踏」のキーワードで検索したところ、中国語、英語、日本語はもちろん、フランス語、スペイン語、ポーランド語、ロシア語、韓国語の説明がある。Wikipediaを通じて、世界中へと広がってゆき、中国の顔はますます広くなったと思われる。 今…