業務のデジタル化を阻むIT清書機の謎─『鎌倉殿の13人』と「働かないおじさん」の深い関係(2)

IT目線ではEUCに落ち着くのだが……

 「では、この続きを議論しましょう」と始まったデジタル座談会の意見交換では、参加者から今回の新型コロナ感染者情報の収集にかかる「HER-SYS」、医療機関や保健所などとのやり取りにファクスが使われていること、あるいは押印した状態の請求書をPDF化して送受信したり、テレカンの参加確認メールに項目を「○」を付けて返信したりという指示があるという事例が紹介された。

 なぜ紙媒体全盛期の書式がIT/デジタルの現在にも引き継がれているのか。そのニーズは業務の現場にあるのではなく、実は情報=書類を受け取る側、ないし現場(現業従事者)に「書類を提出せよ」と指示する立場の人であったりする。HER-SYSは国(厚生労働省)だろうし、請求書は経理・会計部門、テレカンの場合は主催・運営する組織、さらに突き詰めるとその管理者ということになる。

 現業従事者は、自分の業務に必要な情報が、分かりやすい形で、必要なとき、簡単にゲットできればそれでいい。例えば在庫管理の担当者からすれば、製造・入庫・出荷にかかる情報が迅速に把握できればよいので、QRコードで事足りる。ところが管理者には、品目ごと、製品ごとに整理した集計表が必要になる。

 同じ情報でも、役割ごとに必要とする情報のスタイルが違ってくる。それならユーザー自身が情報を編集・加工できるようにすればよく、「やっぱりEUC(エンドユーザーコンピューティング)だよな」に落ち着いてしまうのがIT目線の限界と言える。

 ところが、それは「なぜIT清書機がなくならないか」の考察ではないし、EUCがIT清書機を一掃することにはつながらない。かつて日本語ワードプロセッサワープロ)やPCがEUCを推進したことは否めないが、紙媒体の書式は根強く残っている。

 それはIT云々の話ではない。書類を扱い、ハンコを押すのが仕事になっている人たちがいて、そういう人たちは元号の年月日と押印がないと落ち着かない。「念のため」の添付書類が整っていなければ、受け付けることはできない。重要なのは書類の内容(データ)ではなく、書式なのだ。

IT清書機の問題は「エライ人」「働かないおじさん」の問題でもある

 それは管理者の上位に位置する人たち、つまり組織の「エライ人」ないし「働かないおじさん」たちに共通する(関連記事ニューノーマルで顕在化した「働かないおじさん問題」、解決策は?)。エライ人たちの多くは、自分が理解できる書式と“きれいなプリントアウト”を求めている。そしてほとんどが、口頭での説明を求めることはあっても、自分でデータを編集したり加工したりしない。ましてや自分でデータの「確からしさ」を確かめることもない。

 エライ人の口癖は「直接聞いたほうが早い」で、もたもたしていると「要点だけ言ってくれ」と畳みかけてくる。つまり、コンピュータのプリントアウトは、口頭による説明の補助資料にすぎない。しかしコンピュータから出力した帳票や書類は役員会で回覧されるかもしれないし、場合によっては担当役員の書庫に入る(飾られる?)こともある。そこで部下は上位の管理者のために“きれいなプリントアウト”を作るよう心がける。

 ここで気がつくのは、実務を担う現場従事者より書類を扱っている管理者、現場部門より管理部門が上位に位置づけられる組織の姿である。現場部門は“切った張った”で汗が飛び交い、管理部門は紙ベースで数字と言葉が飛び交う。数字と言葉はデジタルに馴染みやすいが、モノを物理的に動かす力はない。そのことを、われわれはつい忘れてしまう。

 もう1つ気がつくのは、報告が上がってくるのを待っているだけの管理者と、報告を上げることだけが仕事になっている部下という片務性だ。それは指示をするだけの人、指示を待つだけの人という片務性と重なるものがある。

 その結果、文字と文字の間のスペースを工夫して項目の長さをできるだけ合わせ、表の角を丸くし、押印欄を用意し、社名ロゴを片隅に入れるようにするわけだ。そして「念のため」の補足資料を整えて添付する。結果、ほとんど意味のない紙の山が無駄に廃棄されていく。

 報告を待っているだけの管理者と、報告を上げるのが仕事と考える部下、指示を出すだけの管理者とひたすら指示を待っている部下という2つの片務性が、IT清書機問題の裏側に横たわっている。こんなマンガチックな風景が組織のどこかに残っていてないだろうか。

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