「小学校のプログラミング教育」が変なことにならないように

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 「2020年」と聞いて、すぐ思い浮かぶのは東京オリパラ(オリンピック・パラリンピック)だろうか。エンブレムに始まって、国立競技場、贈賄疑惑、予算規模、ボート会場、築地市場、ボランティアのユニフォーム……とあれだけ話題になったので、記憶に残っているのは無理もない。

 忘れちゃいけないことがもう一つ。2020年の4月から、小学校でプログラミング教育が必須科目になる(かもしれない)ということだ。巷間飛び交う情報が有象無象なのは、そこに商機があると踏んでいる人が少なくないためだ。国(エリート官僚や政治家)が口を出すと制度を作ることが先に立つ。まして公的教育の枠組みの中でとなると、文法や構文を教えることになりかねない。

 小中高+大学と十数年も「勉強」して、やっと片言の英語というレベルでは困るし、全員がプログラミングで生計を立てるプロになるわけではない。しからば「キラキラ星の替え歌でアルファベットを覚えたように、あるいは掛け算の九九のように、日常生活で役に立つ“常識”として」とするには、親世代がプログラミング知識を持っていない。

 ということで、誰が教えるのか、という素朴な疑問がある。だけでなく、プログラミング言語はどうするのか(社会に出たとき使えなくなっているかもしれない言語を教えてどうする)、どのようなカリキュラムでどんな教材を使うのか、AIとビッグデータがもたらすシンギュラリティ(技術的特異点)をどう見据えるのかetc。

 意見交換のテーマはあれこれあるのだが、大切なのは、いま3歳か4歳(2020年に6歳か7歳)以下の未来世代が大人になったとき(2040年以後)、「プログラミングの知識がないと生活に困るか」、さらに近視眼的に言えば、「プログラミングの知識が高収入に結びつくか」だ。プログラミングの知識があると年収が倍になるなら、学校で教えるまでもない。

 ここで留意しなければならないのは「プログラミング」という言葉。その本質は「コンピュータ・プログラムを作ること」ではなく、「状況を整理して理論的に組み立てて伝えること」にある。つまり「プログラミング的な思考」であって、最近の流行言葉で言えばポピュリズムに流されない批判的精神の涵養(水が自然に染み込むように、無理をせずゆっくり養い育てること)に他ならない。

 遊びながら電子回路を学べる「littleBits(リトルビッツ)」ばかりでなく、ロボットもあればドローンもある。楽譜を読んでピアノを弾く、景色を見て俳句を作る、分かりやすく説得力のある文章を書くのだって、プログラミングだよね?

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