Digital or Die─“DX実現後”の企業・IT部門・エンジニアはどう変わる? (下)

Digital or Die─崖の前も崖を越えても厳しい試練が

 「その前に済ませておかなければならないことがある」と経済産業省は言う。2025年までにサーバーOSのWindows Server 2008や基幹系アプリケーション「SAP ERP」、PHS/PSNT(Public Switched Telephone Network:アナログ固定電話網)のサポートが終了する。放置すると、日本の産業・社会のITシステムは大変な状況に陥る(関連記事「2025年の崖」の警告先は大企業だけ? 中堅企業はデジタルの時代をどうサバイブするか)。

 本誌で再三取り上げてきたが、経産省はこの危機を「2025年の崖」と呼び、レガシーシステムメインフレーム全盛時代に構築された手続き型/バッチ処理型システムや、肥大化・複雑化して更改が困難、あるいは特定ベンダーにロックインされたシステムを、デジタルビジネス時代に適合させるべく刷新を急がなくてはならない、と警鐘を鳴らしている。

 「DXこそが未来への扉」だというが、就業者は喜んでばかりはいられない。上述したように、ダイセル網干工場は、就業者3000人が300人に減った。同社の場合、余剰した人員は他工場への配置転換で吸収したが、それができなければ、早期退職や転職を推奨する人員整理策=リストラは避けて通れない。

 事務系・営業系でも同じことが起こる。人員整理がなかったとしても、豊富なキャリアを積んできたはずのベテラン社員が、DXによって激変するワークスタイルについていけなかったり、それまで部下だった若手社員がゴボウ抜きで昇進したり給与が抜かれたりしてしまうかもしれない。いや、一部ではすでに起こっていることだ。

 最悪の事態(いや、最善かも)は、DXでITシステムが標準化・正規化されたことによって、有力な大手企業からM&A(統合・買収)の触手が伸びてくる。製品やサービスが魅力的で将来性があれば、経営者はそのような覚悟をしているからこそDXを決めたのかもしれない。DXを推進しなければ崖から転げ落ち、崖を越えれば市場の競争にさらされる。まさに「Digital or Die」の覚悟が迫られている。

写真1:デジタルか死か──2019年1月18日開催の「Govtech 2019」(東京・青山)で

人月モデル/SES契約という国内IT業界の常識から脱却

 レガシーシステムの刷新をクリアしてDXを実現したその先、ざっくり2030年頃の日本経済はどうなっているのだろうか。「DXが日本の実質GDPを130兆円ほど押し上げ、ITエンジニアの平均年収は1200万円超になっている(といい)」と経産省はポジティブな見通しも話す。だが、後わずか10年後の話である。政策目標というより妄想の範囲なのかもしれない。

 ITシステムの開発・運用を受託するITサービス企業の業績はDX需要で追い風、絶対的に人手が足りないのでエンジニアは休んではいられない。目が回るほど忙しく、伴って給与は増え続ける……だろうか? 受託開発の現場で汗を流しているエンジニアは、「平均年収1200万円超なんて絶対に無理」と言いたくなるかもしれない。

 まず、日本のIT業界に根付く、旧来の人月モデル、SES(Software Engineering Service)の問題(関連記事人月モデルから「PSA」へ─日本のITサービス業は危機感を行動に移せるか)。それが連鎖する多重下請け構造がある。さらに「日本の経営者は就業者の給与を上げるインセンティブを持っていない」という指摘もある部分で当たっている。サラリーマン社長は任期を無事に終えて悠々自適の老後を送ることが究極の目的で、出来星のオーナー社長は自身の収入を増やすことに汲々としている──この国でよく見聞きする光景だ。

 実際、株式を公開しているITサービス企業の2017年度業績を見ると、システム開発案件を受注する人月モデル型162社の就業者1人当たり売上高は1508万5917円だ。売上高の3分の1は外注(下請け)に支払われているので、実質の1人当たり売上高は約1000万円と考えていい。

 これに対して平均年収は641万8570円なので、売上高に占める人件費の割合(労働分配率)は6割を超える。労働分配率6割は、サービス業ではほぼ上限と言われている。エンジニアの年収を1200万円に引き上げるには、要員派遣型ないし人月単価のSES契約から脱却しなければならない。

 一方、ITを利活用して事業者向けサービスを提供するネット系B2B企業はどうか。107社の集計を見ると、就業者1人当たり売上高は2290万6712円で受託系の1.5倍だ。平均年収は557万4916円で受託系より84万円低いものの、平均年齢の差(受託系39.1歳、ネット系B2B35.4歳)を考慮に入れると遜色はない。現状でもネット系は就業者に1.5~2倍の給与を支払う力があるということだ(数値はいずれも有価証券報告書)。

 むろんそれは計算上のことで、受託系の中にも平均年収が1000万円超の企業が数社あるし(最高額は野村総合研究所の1221.7万円)、ネット系にも平均年収が400万円に満たない企業が10数社ある(社名はあえて伏せる)。ともあれ、現時点の数字を見る限り、平均年収1200万円超を実現しそうなのはネット系B2B企業である可能性が高い。

求められるのは高度人材/ITを活用できる“魔法使い”

 ただし、以上はあくまでもこの記事を書いている2020年2月時点でのことだ。経産省が目標とする2030年は10年先。それまでに「2025年の崖」を乗り越えなければならないし、東京オリンピックパラリンピック、消費税率改定、次世代ネットワークの5GやAIの実用化、自動運転技術の普及、電力の法的分離といったトピックが予定されている。

 翻って、今から10年前、2010年のことを振り返ってみる。ときは民主党政権ながら参院選で惨敗、小惑星探査船「はやぶさ」が奇跡的な帰還を果たし、尖閣諸島で中国漁船と日本の海上保安船が衝突した。消費税率は5%だったし、外国人旅行者は今よりはるかに少なかった。ITにまつわる話題では厚生労働省の障害者向け割引郵便制度不正利用問題に伴う検察庁のデータ改竄、モバイル通信サービスにおけるLTEの商用化などがあった。

 踏まえて、10年後。2030年にどのようなデジタル社会が展開しているか。その変化は2010年から2020年の比ではない。第4次産業革命がダイナミックにスタートすれば、ITエンジニアが現在の受託系/ネット系のIT企業に所属しているとはかぎらず、またユーザー企業側のIT部門が今のままではないだろう。

 システムの設計・開発・テスト・実装・運用のサイクルがどんどん短くなり、派生開発やアジャイルと呼ばれる手法の進化形にAIが結びつく。求められるのはデータサイエンティストやデータアナリスト、AIという高度な人材とテクノロジーをうまく活用することのできる“魔法使い(Wizard)”かもしれない。1960年代から70年代のプログラマーがコンピュータの魔法使いと呼ばれていたのと同じことだ。ともかくDX化は避けて通れず、そのために確保したい魔法使いが日本人である必然性もまた、どこにもない。