デジタルと印鑑・印章は共存できるか 「QRコードのハンコ」で考えたこと

自治体DX推進会議」が開かれたのは今年1月18日。話というのは、そのエンディングで示された「自治体DX行動プラン」ではなく、QRコードを使った角印と、行政手続きからハンコをなくすことについてである。実際に作ってみて思ったのは、QRコードは面白いけれど、使えるのはせいぜい「認め印」のレベル。現時点で、公の局面ではデジタル認証がいちばん、ということだった。 

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自治体DX推進会議で公表された8箇条の「自治体DX行動プラン」

社判・公印をQRコードにしたら

 「自治体DX行動プラン」については、2月3日付コラム「経産省が《自治体DX行動プラン》当たり前ができていない現実」で報じたところだが、確認のために再掲しておく。これを行政手続きに適用すると、①「常識を疑おう」、②「アナログ時代の制度に縛られない」は、まさに紙とハンコを意味している。もう一つ、「市民・国民が手続きを申請するため役所に出向かずに済む」を付け加えてもいい。

 「自治体DX推進会議」のエンディング、正面の大スクリーンに投影されたのが冒頭のイメージ。文末の右下隅に配置された赤い角印(のように見えるパターン)は、実はQRコードだ。スマートフォンで読み取ると、経産省のデジタルトランスフォーメーション特設サイトが表示される。

 おそらく同省のDXオフィスの面々がワイワイガヤガヤやっているなかで、誰が言うともなくアイデアが固まったのだろう。そのねらいについて内閣官房政府CIO上席補佐官兼経産省CIO補佐官の平本健二氏は、「もし公印がQRコードだったら、という“遊び”」と断りを入れつつ、「スマホで読み取るだけでネットのサイトに飛んでいって、情報を確認したり手続きができるようになるかもしれない」という。

 勘違いする人がいるといけないので敢えて触れておくと、経産省は事業者の社判や役所の公印にQRコードを推奨しているわけではない。真のねらいは「ちょっとしたアイデアがデジタル改革につながる」(平本氏)の見本を示したに過ぎない。DX(デジタルトランスフォーメーション)オフィスと内閣官房は連携して、法人登記手続きにおける印鑑(印影)の届出義務廃止を進めている。

 今年の確定申告で、国税庁が3年間の暫定措置として、カードリーダーでマイナンバーカードを読み取るプロセスを不要にした。ただし税務署に出向いてマイナンバーカードを提示し、税務署からIDとパスワードの交付を受けなければならない。専用のIDとパスワードe—Taxサイトにログインする仕組みだ。

 法人登記手続きでも同じような手順を踏む。起業者は法務局に出向いてマイナンバーカードを提示し、IDとパスワードの代わりに電子認証を入手する。この電子認証があれば印影届出の手間が省略できる。公証人による定款の認証も「面接」の要件を双方向TV会議システムで代用する。電子認証がマイナンバーに紐付いているので、申請を受けた役所(窓口)から法務局に連絡して本人確認を行うことになる。実印登録も、書類に何度も押印する必要もなくなる。

 とはいえ国税庁経産省内閣官房、法律全般を所管する法務省も、個人・法人を同定するキーにマイナンバーを位置付けている。マイナンバーカードはその延長線上にあって、“不動・不変のツール”のように喧伝されているのだが、施策を立案する官僚たちがそれを是認しているかとなると、「国に雇用されているのでやむを得ない」が本音ではあるまいか。

試しにIT記者会の印を作ってみた

 さて、本題のQRコード印について、である。

 「自治体DX行動プラン」のQRコードはたしかに面白い。縦型表彰状のフレームだったこともあって、最下段の右隅に赤い角印(のようなもの)があると、何となく説得力がある。繰り返しになるが、スマホで読めば経産省DXオフィスのサイトが表示されるので、「身元保証」にもなる。

 なるほど……、と考えたのは、筆者が主宰するIT記者会のことだ。IT記者会は2004年の発足直後に法人格を登記したが、2012年の10月、一定の役割を果たしたと判断して、登記を取り下げた。つまり法人登記に際して作った角印「IT記者会之印」と丸印(代表者之印)は、今となっては認め印に過ぎない。ただ、角印は会として幾許かを受領する際、受領印として使っている。見かけがいいだけでなく、書類を受け取った人が何となく納得してくれる(少なくとも違和感や不審感はない)のだ。

 であれば、「デジタル化の時代」でもあるし、旧来の角印の代わりに、流行りのQRコードを印面にしたらどうだろう、と考えたわけだった。スマートフォンのアプリで読み取ったとき、「IT記者会とは」のページが表示されれば、オフィスの所在地(住所)も活動内容も知らせることができる。どうせハンコを押すのなら、そっちの方がいいのではないか。

 そこで無料で利用できる QRコード生成サイトを探し出し、URL窓にこの記事のURLを入力した。押印のイメージなので色は赤、サイズを選べるというので「大は小を兼ねる」と考えた。JPEGでパソコンに保存すればいい。

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URLが分かればMETI「DXオフィス」のQRコードを作ることもできる

URLリンク機能はたしかに便利

 操作は簡単なので、誰でもURLのQRコードを作ることができる。いや、URLばかりでなく、メールアドレスや文字列、動画像、地図もQRコード化できる。

 ――ということは……。

 誰でも簡単に「なりすまし」ができるわけだ。URLは広く公開されているので、「IT記者会とは」のQRコードを作れるので、例えば悪意をもって無理難題な契約の履行を迫ってくるかもしれず、善意の第三者を騙すことに使われるかもしれない。そこでセンターに白抜き・赤縁で「IT記者会」の文字を入れ、子持ち罫の枠を付けた。文字のフォント、縁の太さ、罫線の種類(同じ子持ち系でも何種類かある)が偽造防止に役立つだろう。

 ところがセンターに入れた文字が、いくつかのコードブロックを隠すことになるし、枠の罫線が余計な信号になるかもしれない。そのせいでQRコードリーダーが動作しなかったり、誤読して関係のないURLを表示してはマズイ。文字の大きさ、縁の太さを変え、罫線を被せるたびにQRコードリーダーをかざしながら、これならOKの印面が出来上がった。

 「やったね」ではあるのだが、リアル印鑑と比べたら法的効力はどうなのか。

 先ほど筆者は「URLは広く公開されているので、誰でも同じQRコードを作ることができる」と書いたが、実はそうではない。色を指定できるし、あらかじめ文字を入れることもできる。だけでなく、「アクセス解析機能」を埋め込んだり、解析方法も選択できる。QRコード生成アプリで出来上がりが異なってくる。つまり、唯一無二ということではない。

 書類に押すかプリントしたQRコードの印面が、唯一無二のURLを表示するとしても、その印面が唯一無二ではないとすれば、筆者のように、生成されたQRコードに対して読み取り不能にならないレベルの二次加工を施すのがいいのかもしれない。

 だがよく考えると、QRコードはデジタルなのでコピーは容易だし、紙に複写を繰り返すのと違ってイメージの劣化がない。朱肉の押印にありがちな色むらや擦れが発生することもない。ということはQRコードに限らず、デジタルの陰影はリアル印鑑(どこででも手に入る三文判は別として)+朱肉(ないしインク)で紙に押した印影より価値が低いわけだ。QRコードはURLとリンクするので担保・証明力がある感じだが、法的な効力となると話は別ということだ。

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ハンコをなくさなくてもいいじゃないか

 次に思いついたのは、二次加工を施したIT記者会のQRコードを版下にして、リアル印鑑を作ることだった。ネットで印鑑・印章を受注している会社に問い合わせると、シャチハタの「shachihataQRコード入りスタンプくん」は印面を指定できないことが分かった。発注時に伝えたURLからシャチハタがQRコードを生成してスタンプに加工する。もう一つは、当方で作成した印面イメージを版下にしてスタンプを作る方法で、それだとゴム印でも対応できる。ただしURLリンク機能は保証されない。

 ということでリアル印鑑の作成は断念したのだが、ネットで注文を受け付けることも含めて、「印鑑・印章業界はデジタル時代にそこそこ対応しているじゃないか」が第一印象。法人登記のデジタル化のために印影の届出義務が廃止されたとしても、今後とも事業者間の契約には代表社印(法人実印)が必要だろう。マイナンバーと紐付けすることで行政手続きからハンコをなくせても、ビジネスの局面から印鑑・印章を撤廃するのは一朝一夕にはいかない。

 実際、《自治体DX行動プラン》でもそうだったように、書面の隅に朱色の各印があると何となく納得し、何となく権威や裏付けがあると認識するのは事実である。自治体DX推進会議のエンディングで、行政手続きハンコ撤廃論者の急先鋒と目される平本健二氏が、図らずも「引き締まって見えるでしょうけれど……」と口にしたのは、それが見慣れた景色の一部だからだ。

 だけでなく、蔵書印や書画の落款といったかたちで、この国の伝統的な習慣になっていることは否定できない。ただし印鑑・印章を「我が国古来の文化」と断じるには、いささか無理がある。古来、「印」を用いたのは中国皇帝を宗主とし、その藩屏として朝賀貢献(王朝の繁栄を慶賀し貢物の献じる)した際である。朝貢使節が携行した貢物や特産品(その対価として中国の工芸品や書物を舶載した)を粘土で封じ、そこに中国皇帝から下賜された印を押したのだ。

  武家社会では「印」はあまり使われず、主に手書きの花押が本人であることを示し、家紋や幟旗などが身元や身分を裏付けた。室町時代大内氏が明国と貿易した際に「日本国王」の署名と印を使ったのは、朝貢の形式を取ったため、織田信長が「天下布武」の印を使ったのは彼の合理主義が南蛮(主にポルトガル)の風習を受容したためだ。

 こんにちの印鑑の原点は室町時代、宋から渡来した禅僧がもたらした落款にある。漢文の書や水墨画に押した落款が商人たちに広まり、連歌俳諧の流行と相まって商人の自己証明となっていった。この国における印鑑・印章の歴史はもっとも古くさかのぼっても12世紀、自己証明のアイテムとして普及したのは16世紀の商人層だったことになる。 

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後漢朝皇帝への献上品に圧された「漢委奴國王」の泥封(再現)

3Dプリンタで寸分違わず偽造できる時代

 これもQRコード印もしくはデジタル認証に関連するのだが、昨年2月2日、全日本印章業協会、全国印判用品商工連合会、全国印章業経営者協会の3団体が、「デジタル・ガバメント実行計画」に関する要望書を提出した。そこで要望したのは、①印鑑業界関係者への説明会開催、②「法人設立手続きにおける印鑑届出義務廃止」の再考、③「民民手続きにおけるオンライン化の推進」の白紙撤回、④以上が実施されなかった際に、業界が被る被害に対する国の売上補償——の4点だ。

 同要望書によると、印鑑の製造・加工にかかわるのは全国約9千事業者、販売にかかわるのは1万500店、関連売上高は約1,700億円という。過去の構造的産業転換と照らし合わせると、エネルギーや繊維のような労働紛争が起こるとは思えず、また向こう10年以上は印鑑・印章の利用が続くと思われるので、老齢化した店主が店を整理する時間的余裕は十分にあるし、「昭和の日本」を懐かしむムード次第では、存外しぶとく生き残ることもあるだろう。

 ただ要望書が言う「欧米のサイン制度と違い、代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決裁に繋がり、戦後の日本の急速な発展にも寄与してきたという自負もあります」は、印鑑・印章制度の不備を自ら認めることになっている。本人ではない第3者が、本人の了解・合意なく押したハンコが有効か、という法律問題に抵触するのだ。

 かつて手彫りで作られた印鑑・印章は職人芸の結晶で、工芸品の域にある作品もあったのだろうが、現在はコンピュータだ。どんなにユニークな書体で彫っても、印面・印影をデジタル化すれば3Dプリンタで寸分違わず再現、つまり偽造することができるという。それを本人以外の人がポンポン押していいものか。趣味の領域は許容範囲があるだろうけれど、公(行政と法律)の領域はやっぱり電子認証だよな、と思うのである。