スタートした「ビットバレー第2章」 東京・渋谷が目指すITフロンティアを実現するには

【月刊THEMIS2018年11月号】に寄稿した記事です。たまたま発刊日が渋谷ハロウィン騒動と、年末にGMOインターネットの350億円特損計上の公表が重なってしまいました。

THEMISさんから転載の了解をいただけたので。

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  大深度地下の貯水槽、鉄道9路線の連絡路再編に加え、渋谷ヒカリエ、渋谷駅街区、渋谷ストリーム、桜ヶ丘、セルリアンタワー等々の超高層ビル群——。2020年の東京オリンピックパラリンピックまでに、「100年に一度」と言われる東京・渋谷駅周辺の大規模再開発が続いている。その渋谷で《ビットバレー第2章》と称するムーブメントがスタートした。

渋谷に本社のIT有力4社+22社がタッグ

 「ビットバレー」は米カリフォルニア州、IT企業が集積するシリコンバレーにあやかった呼称。渋谷の「渋(bitter)」にデータの最小単位である「ビット」をかけ、「谷(valley)」と合わせた造語といっていい。1995年から7、8年ほどIT業界で使われた。それを復活させよう、というのだ。

 きっかけとなったのは、昨年の9月10日、「渋谷で働くエンジニアは楽しい」をテーマに、渋谷区文化総合センター(桜丘町)で開かれたカンファレンス「SHIBUYA BIT VALLEY 2018」。主催は渋谷駅周辺に本社を置くサイバーエージェント東証1部)、ディー・エヌ・エー(同)、GMOインターネット(同)、ミクシィマザーズ)のIT大手4社、これにグーグルやクックパッドなどネット系IT企業22社が名を連ねた。

 株式を公開するネット系IT企業はすでに200社を超えているのだが、今回のカンファレンスに名を連ねた企業はその先頭集団だ。創業はサイバーエージェントが1998年、ディー・エヌ・エーは1999年、GMOインターネットは1991年、ミクシィは2000年。資金も組織もなく、身一つから起業した成功者でもある。

 ネット系の著名企業がこれほど結集したというだけでも「すごい」のだが、加えて地方の学生には5万円の交通費補助とあって、1千人を超える若手ITエンジニアや起業志望者などが参加する大イベントとなった。にもかかわらず、取り上げたメディアがほとんどなかったのは、ITの分野で「世界の周回遅れ」と言われるこの国の事情を端的に示している。

行政も地域の事業者もおのずと目を向ける

 主催4社の一であるサイバーエージェントによると、今回のイベントで「ビットバレー第2章」のノロシを上げ、来年を初年に位置付けるという。サイバーエージェント社長の藤田晋氏、ディー・エヌ・エー会長の南場智子氏、GMOインターネット会長兼社長の熊谷正寿氏らが、「かつてのワイワイガヤガヤの活気をもう一度」と意気投合したのが始まりであるらしい。

 なるほど当時の渋谷駅周辺は、SHIBUYA109や東急Bunkamuraを中心に若者が集まり、センター街がイメージチェンジしつつあった。同時に渋谷界隈に本社を置くネット系企業が相次いで株式を上場し「インターネットバブル」(ドットコムブームとも)の狂騒のさなかにあった。

 若い起業者がオフィスを相互に訪れて意見を交わし、渋谷駅周辺のバーやレストランで会合が開かれた。第1回のベンチャーの会合がGMOインターネット(当時の社名は「まぐクリック」)のオフィスで開かれ、そこで「ビットバレー」の名が産声をあげた、という伝説もある。

 カンファレスでは渋谷区長の長谷部健氏も挨拶に立ったのだが、今後について尋ねると、「渋谷区や(渋谷駅周辺再開発事業の中核である)東急グループとの協力・連携は現時点では白紙」と慎重な答えが返ってきた。なるほど東急グループが渋谷駅周辺の再開発を計画したときには「ビットバレー第2章」は存在していなかった。

 また東急グループにとっての関心事は「渋谷の集客力」なので、現時点で「ビットバレー第2章」は好材料に一つにすぎない。どうかかわっていくかは全くの未知数だが、ネット系IT企業を積極的に誘致するようになるかもしれない。

 東急電鉄田園都市線の沿線にインターネットで結ぶサテライトオフィスを展開するようなこともあるだろう。ただ、主催者側は「来年は1万人規模のカンファレンスを企画しています」と意欲を示している。自分たちがやるべきことをやっていけば、行政も地域の企業(東急グループを含む)も自ずから変わっていく、という意味だ。

初のIT特化型インキュベーターが吸引力

 「ビットバレー第2章」の今後を占う意味で、ちょっと振り返ってみよう。1995年は阪神・淡路大震災(1月17日)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(3月20日)が起こった年として記憶される。この年の11月23日(勤労感謝の日)に、マイクロソフト社のパソコン用OS「Windows95」日本語版が正式に発売されている。

 一般に「Windows95がインターネット時代の幕を開けた」と言われるが、実はインターネットを社会に周知させたのは阪神・淡路大震災だった。電話は全滅したが、幸い神戸大学のコンピュータに接続する通信回線が生きていた。その回線からインターネットを介して、被災状況や必要な物資などの情報が全世界に発信されたのだった。

 ともあれ、インターネットとパソコンが新しい領域を切り開いていった時代だった。若い起業家が次々に誕生し、渋谷駅周辺にオフィスを置くケースが少なくなかった。交通の便がいい割に、渋谷駅周辺は低層の古いオフィスビルが多く、賃貸料が安かった。青山から渋谷にオフィスを移した経営者が、「都落ちする感じ」と話すような状況だった。

 だが、それだけが理由ではない。渋谷駅周辺は1960年代から情報処理会社が多く事務所を構えていた。当時は花形のデータ入力業務を担う若い女性を集めるには、渋谷か銀座だった。渋谷からちょっと歩けば青山、原宿、神宮外苑がある。アイビールックの「VAN」、トラディショナルルックの「JUN」が一世を風靡していた。

 そのような下地の上に、1998年、ITに特化したインキュベーター道玄坂に開業した。スタートアップ企業に投資するだけでなく、経営を指南し、独り立ちするまでのオフィスを超低料金で提供した。現在は東京・恵比寿に本社を移しているが、その会社は「サンブリッジ」、社長は初代日本オラクル社長だったアレン・マイナー氏である。

 同社から巣立っていったITベンチャーは、筆者の知る限りでも20社を超える。そうした企業は宮益坂や金王坂、並木橋、南平坂などにオフィスを構えていた。創業者の資質と着想がうまく結合してネットの流れに乗ることができたケースもあれば、オンザエッジ(のちのライブドア)のような事例もある。

世界に向けた情報発信基地になれるか

 「ビットバレー第2章」が採用イベントにとどまるとしたら、それは初志に反するに違いない。シリコンバレーがなぜITベンチャーのメッカになったかというと、先端の研究開発拠点があって、スタンフォード大学裏手の別荘地に住む富豪たちがサロンに集まって有望な投資先を物色していた。さらにアップルやサンマイクロシステムズなどが小中学校や自治体にIT製品を寄贈した。寄贈するだけでなく、技術者を派遣してシステムを構築し、全米一のITフロンティアを創出した。その名声が優秀な人材を集めたのだ。

 グランフロント梅田(大阪市)にある「ナレッジサロン」のように、様々な専門知識・技術の持ち主が協業するきっかけとなるシェアオフィス、コワーキングスペース、スタートアップ企業への投資機能、ビジネスマッチングなど、「協働の場=渋谷」の機能をどう確立していくか。渋谷を日本トップクラスのITフロンティアにすることがとても大切になってくる。

 当面のゴールは経済産業省が「IT利用環境がガラッと変わる」と予測している《2025年の崖》のあとだ。従来の手続き処理システムとIoT、ビッグデータ・アナライズ、AI(人工知能)などが融合し、すべての企業が「デジタル企業」に変貌する。自動運転が実用化され、ロボットやドローンが荷物を運び、繰り返しの単純な事務作業はITで自動化されているだろう。

 そのとき、例えば2030年、ビットバレー企業群が日本を代表する企業として国際的に活躍するには、いまこそ自らデジタルトランスフォーメーション(DX)を取り込み、産業・社会の牽引役として名乗りをあげなければならない。「ビットバレー第2章」は、第1章の主人公たちが「第2の創業」を決意した表明と読み取れないでもない。

 若者が集まる街、海外旅行者に人気の街というだけでなく、若い才能(人材)を発掘・育成し、起業を支援する活動につなげることができるかどうか。ネットバブルの発信源となった地だけに、「バブルシティ」の汚名を回避するためにも、「地場」の企業と行政を巻き込んで世界に向けた情報発信基地となることを期待したい。