インターネットが保証する「自由」は、匿名による誹謗中傷や風評の流布さえも許容する。誰でも・いつでも・どこからでも、自由に意見を交換し情報をやり取りできる便利な手段だが、「何でもアリ」のままでは地域コミュニティ・システムに使えない。実社会の秩序を導入するにはどうすればいいか。
最初に、今回のテーマを簡単に整理しておく。
○取材対象:熊本県八代市(世帯数5万253戸・人口13万9,629人:2005年10月17日現在)。
○テーマ:SNS(Social Network Service)型地域コミュニティ・システム「ごろっとやっちろ」(http://www.gorotto.com)。
○特徴:
①SNS型地域コミュニティ・システムは地方公共団体で初めて。
②OSやミドルウェアにOSS(Open Source Software)を採用
③市職員が業務の合間に作った。
④構築したシステムそのものをOSSで提供。(川崎市、東京都千代田区、長岡市などが採用もしくは導入を検討)
う~ん、話題は山盛りである。さて、どこから手をつければいいか。
空港からリムジンバスで1時間
次の取材先は八代市と決まったとき、「やったぜ」と思ったのは、今回こそ温泉1泊、という下心からだった。羽田から熊本空港まで1時間半、空港からJR熊本駅まで1時間、そこから鉄道……乗り継ぎの待ち時間を考えると、こりゃ日帰りは無理。というのでチケットの手配より先に温泉を探したのは、とんでもなく間違っていた。
――空港から直行のリムジンが出てまして。約1時間で市役所の目の前に着きます。
という旅行代理店からの知らせに、筆者は「はァ、それはそれは」と答えるほかなかった。
熊本空港から八千代市に向かうリムジンバスの運転手さんにその話をすると、「出張の人っちがお泊りにならんでねぇ」。便利になったが、地元の宿やホテルにお金が落ちなくなった。
ここでも過疎が進んでいるのだろうか。
その質問を、取材対応に出てくれた情報化推進係・伊藤隆生氏にぶつけると、
「いや、そんなことはありませんよ」
という答えが返ってきた。
際立った観光地はないが、来年に向けた新作が発表される全国花火競技大会や妙見祭(11月22、23)には、遠く関東地方からも観光客が訪れる。なかでも「亀蛇(きだ)」や鉄砲隊が街中に繰り出し、河原を馬が疾走する妙見祭は九州三大祭の一に数えられる。
「それに河童の発祥地でもありますし」
聞けば、中国・春秋戦国の時代、乱世を逃れた河童が大陸から海を渡って八代の海辺に上陸した――という伝説がある。
河童の伝説はともかく、現在の八代市は漁・農・工・商のバランスがほどよく取れ、高速道路や新幹線ができたこともあって新興住宅地が広がりつつある。ばかりでなく、2005年8月1日付で周辺2町2村(千丁町、鏡町、東陽村、泉村)と合併し、3万4,000人ほど人口が増えた。地域コミュニティ・システム「ごろっとやっちろ」を作った背景には、合併に伴う新旧市民の情報交換の場を、というねらいがあったのかもしれない。
匿名性の暴力から市の品位を守る
「ま、それは結果として、ですね。きっかけは市のWebサイトをリニューアルしよう、ということでした」
平成14(2002)年7月のこと、「ホームページ検討委員会」が発足した。当時、伊藤氏は行政システム課で市のネットワークの管理を担当していた。おのずからリニューアル計画の策定にかかわることになった。
検討会では、庁内LANをインターネットに接続すること、Webサーバの運営を外部から庁内に移すことの2点が決まり、併せて「最新の情報を迅速に市民に配信したい」という要望が示された。そのためには、市民が積極的に市のWebサイトを見てくれなければならない。「《お知らせ》はWebサイトに掲示してあります」では情報は活用されず、市民の役に立たないのではWebサイトの意味が問われる。
では、どうすれば多くの市民が見てくれるか。
「自由に情報を書き込める場を作ったらどうだろう。八代市も電子掲示板を設けてはどうか」
数多くの市町村が電子掲示板を一般に公開している。最も無難な案だが、伊藤氏は「それでいいのか」と疑問だった。ネットワーク管理者として他の市町村のWebサイトを研究していたので、電子掲示板の長所も短所も分っていた。
ただの掲示板は、不特定多数の利用者が書き込む。根拠のない風評や悪質な嫌がらせ、人を不愉快にする暴言が書き込まれても、それを放置したり、発信者に注意しないケースが珍しくない。数年前、ある自治体が運営する電子掲示板で「詐欺師」呼ばわりされ、ありもしない「事実」を暴露された体験が筆者にもある。誹謗中傷の書き込みを削除するよう当該自治体に申し入れたが、「公共機関としては発言者を平等に扱わなければならない」という理由で、筆者の申し入れは拒絶されてしまった。
「匿名性による一種の暴力ですね。そうなると、サイトを公開している自治体の品位が疑われるわけです。八代市がそうなっていいのか、と考えました」
バージョン1はポータルサイト
翌年(平成15年)4月に“新装開店”した八千代市のWebサイトには、市のホームページに地域コミュニティ・サイト「ごろっとやっちろ」が追加された。これを伊藤氏は「バージョン1」と呼んでいる。
ところで、「ごろっとやっちろ」の由来は?
――《ごろっと》はですね、「丸ごと」という地元の言葉に、「ゴロッと横になる」とかいう意味を加えました。《やっちろ》は八代の古い呼び名です。
日本語は「r」音が入ると、丸く転がり、耳に優しく和やかになる。カラカラ、キラキラ、クラクラ、クルクル、コロコロ、ゴロゴロ……。最近はそうでもなくなったが、かつて国内で販売されていた乗用車の名前には必ず「r」音が入っていた。なるほど《ごろっとやつしろ》より《ごろっとやっちろ》のほうが親しみがある。
で、バージョン1は電子メール、カレンダー、カテゴリー・リンク、掲示板、相談室、地図情報、サークル、火災情報といった機能を備えたグループウェア型のポータルサイトだった。しかし掲示板に書き込みを行うには事前に会員登録を行い、そのつどパスワードでサイトにログインしなければならない。また書き込みは市の職員が24時間監視することになっていた。
「事前に会員登録し、そのつどログインするのでは、利用しにくい。監視は24時間といっても、不眠不休では体力が持ちません。実際は手があいたとき随時、掲示板を覗くということでしたが、負担ではありました」
平成15(2003)年4月の“新装開店”(バージョン1)から同年10月の改良(バージョン2:デザインと内部構造の再構成)を経て昨年9月まで、全国花火競技大会が行われる10月を除くと、毎月のアクセス数は市のサイトが2万~2万5,000件、「ごろっとやっちろ」は7000~1万件で推移していた。登録会員は毎月平均で27人の割で増えたが、アクティブな会員数は50人以下にとどまった。
アクセス数が減り、アクティブメンバーも伸び悩んだ。カテゴリー・リンクやサークルなど、せっかくのコミュニティ機能が十分に機能していない。
「これは何とかしないと」という思いが伊藤氏のなかで募っていった。
SNSサイト「mixi」を知っていた
平成16年の3月から4月にかけて、「バージョン2」の見直しを行うことになった。このとき伊藤氏が思いついたのは、「SNSはどうだろう」ということだった。
学生時代からプログラム作りにいそしんでいた伊藤氏は、八代市の職員になってからも「趣味のプログラム作り」を続けていた。インターネットに開設されている開発者コミュニティに参加していたので、早くからOSSの知識もあった。その延長線で伊藤氏は、その年の3月にスタートしたばかりのSNS型コミュティ・サイト「mixi」(ミクシ)と接する機会があった。
「SNSは“友だちの友だちは皆な友だち”というのがコンセプトなんです。サイトの参加者が知り合いを誘う。サイトに参加しているのは、必ず誰かの知り合いですから、お互いに信頼関係ができています。匿名性を排除できるばかりか、誹謗中傷や暴言を抑制できる」
これだ! と思った。
匿名性を排除するため、とはいえ参加者をどこまで特定すればいいかがポイントだった。実名の表示を義務付ければ、誰も利用してくれなくなる。といって普通の「ハンドルネーム」を認めれば、匿名と全く違わない。そこで、登録の際に本名や住所、性別などを管理者に通知するが、サイトの画面には「あいまいなプロフィール」を表示することにした。さらに発信する情報の閲覧を「すべてのメンバー」か「ともだち限定」か指定できるようにした。
「自分の情報を利用者自身がコントロールできる仕組みがあれば、安心してサイトを利用してくれる。そうなれば今度は積極的にプロフィールを登録してくれるんじゃないか」
およそ半年をかけて「ごろっとやっちろバージョン2」の概要は固まったが、それを具体化するための予算がない。つまりシステムの開発を委託する費用がない。
「それは始めから分っていたんです。で、要するに自分で作っちゃえ、と」
「グレイマン」がチェック
バージョン3の開発に取りかかったのは昨年9月だった。バージョン2の機能にキーワード検索エンジン「ごろっとWIKI」と「招待機能」「プロフィール」を追加し、プログラム・モジュールを再構成した(図)。記録によると10月19日にベータ版ができ、それに手直しを加えて本番に公開したのは12月1日だった。市のホームページを運営しているサーバ(OSはFreeBSD、データベース管理システムはPostgreSQL、プログラムはPHP)に“間借り”するかたちで運用を開始した。システム開発に要した時間は3か月である。
「システムのベースはOSSですからライセンス料は不要。外部に開発を委託したわけでなく、市の職員が勤務時間の中で作ったので、システム作りにかかった費用はゼロ。強いていえば情報推進係職員の人件費ぐらいですか」
バージョン3の最大の特徴は「SNS型ならではのチェック機能」という。「それを私たちは《グレイマン》と呼んでいるんです」
市民に監視を委託しているんですか?
「いいえ、そういう仕組みではなくって、システムに組み込まれているんです」
具体的にいうと、掲示板や日記(ブログ)に書き込みが行われると、それが自動的に管理者の携帯電話のメールアドレスに転送される。今年4月の1日当りの書き込みは、日記が20件強、掲示板が約10件、メールが7~8件、その他を含め合計して60~70件だ。大半は何の問題もないが、チェック機能がないというわけにはいかない。
転送された内容を管理者が読んで「検討の要あり」と判断すると、書き込みを「グレイ」にする。公開の可否が判定される24時間は、発信者から見るとそのまま掲示されているように見えるが、他の利用者には見えない。
「誹謗中傷や暴言、他人のプライバシーにかかわる内容が書き込まれた場合、発信者に注意を促して書き込みを取り下げてもらう。それでも承知してもらえない場合は、管理者が削除する」
これまでに何件くらいありました?
「グレイマンが発動したのは2件でした。そのうち1件は削除、1件はOKでした」
参加している人がお互いに知り合い、ということが、「何でもアリ」の世界に一定の秩序を自然に形成している。
実世界と重なる携帯写真とGIS
ごろっとやっちろバージョン3の概念では、匿名性を排除するプロフィール・サークルと招待機能が「信頼と安全」を保証する。その上でキーワード検索エンジン「WIKI」、カテゴリー・リンク、カレンダー、GISの4つが情報にアクセスするファクター(ないしファンクション)、携帯電話で撮影した写真をその場でアップできる「がんがん」が情報をリアルに分りやすく伝える手段となっている。WIKI、カテゴリー、カレンダー、GISの4つは、別の言い方をすると「実在性」を保証する基盤でもある。
デモを見せてもらって感じたのは、なかでもGIS(九州電力が開発した1/2500地図)がインターネットと実世界とを結ぶかなめに位置していることだった。公民館での催しや個人商店の売り出しといったイベントがGISの上にプロットされ、マウスでポイントするとポップアップで情報が表示される。地図のビジュアル性と地域との密着性が、インターネットと実世界とを結びつけるのだ。
バージョン3が正式にリリースされて以後、「ごろっとやっちろ」の利用は急速に増加した。Webサイトへのアクセス数は毎月2万~3万件、日記は600~700件、掲示板への書き込みは200~300件、アクティブメンバーは毎月150~200人で増え続け、この8月末には約1,500人(うち八代市民が82%)となっている。
「新聞や雑誌に取り上げられたのが、アクセス数の急増につながったと思います。ただ面白いのは、市内に住んでいないアクティブメンバーがどんどん増えていることです。全国花火競技大会や妙見祭のときだけアクセスが跳ね上がるのでなく、着実にテーマごとのサークルができているということなんです」
読者の皆さんもぜひ http://www.gorotto.com/ にアクセスしていただきたい。「きららくらぶつうしん」「子育てママさん楽しく話そ」といったサークルが活発に動いている。「八代市を中核とするコミュニティが広がっていることを実感しています」といいながら、伊藤氏は現状に決して満足していない。携帯電話にジャストインタイムの情報を配信する。会員が自分専用のサイトを編集できる「ごとっろページWIKI」をポータル化して、ショッピング・モールを形成する――等々だ。
さらに伊藤氏は言う。
「ごろっとやっちろのシステムはOSSですから、これを多くの市町村に使ってもらいたいのです。そうなったらSNSとSNSを連携することができる。地方公共団体の職員が参加するLG―SNSができないでしょうか」