【現代ビジネス】NHK「受信料支払い拒否裁判」は時代錯誤も甚だしい

2017年12月9日にWebニュース「現代ビジネス」に寄稿した記事です。

何のために地デジにしたのか…

  
 

12月6日、最高裁の大法廷(裁判長:寺田逸郎長官)はNHK受信契約の義務規定を合憲とする初の判断を示した。

2006年3月に自宅にテレビ受像機を設置した男性に対して、NHKが受信契約を結ぶよう求めたところ、男性がこれを拒否したので、同年9月にNHKが支払いを求めて起こした。

裁判の事案名は「受信契約締結承諾等請求事件」と厳めしい。一審、二審でNHKの主張が認められたため、男性が上告していた。その最終判決だ。

金田大臣名の異例の「意見書」

NHKが根拠としたのは、放送法64条1項。具体的には「日本放送協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とある。

つまり、「テレビを持っている世帯は必ず受信料を払わなければならない」ということだ。請求額は被告男性に受信契約申込みを送付した2006年4月から2014年1月まで8年間の受信料、約21万5千円とされた。

これに対して男性は、「この放送法の規定は訓示規定であって強制力はなく、もし義務規定であるとするなら『契約の自由』の原則に反し、違憲ではないか」と主張した。

実に11年にもわたって、NHKがひとりの視聴者(もっとも、男性はNHKを視聴していないと述べているが)を相手取って裁判を続けていたこと自体が異例だが、さらに奇異に映るのは、今年4月12日に法務省が当時の金田勝年法務大臣名で「(NHKが依拠する)放送法は合憲」とする意見書を提出したことだ。

万が一、最高裁放送法違憲とされれば、現在受信料の支払いを拒否しているという約900万世帯に正当性が与えられるばかりか、NHKアイデンティティが根底から覆ってしまう。法務省の危機感がにじむ対応である。

こうした状況下で、最高裁の「上告棄却」という判決は十分に予想されたことだった。被告男性は敗訴が確定したが、その後の報道では、その事由説明の部分が盛んに取り沙汰されている。

今回の判決で、「放送法は受信設備の設置者に対して受信契約の締結を強制する旨を定めた義務規定」であると初めて認められたわけだが、最高裁NHKの主張を全面的に認めたわけではない。

「公共放送の役割を丁寧に説明し、受信料を支払う意味を理解してもらう不断の努力」を求めたうえ、「受信契約が未確定の段階で徴収するのは適当ではない」という指摘も盛り込まれ、NHKにとっては存外に厳しい判決だったとする見方もある。

技術的には容易な「スクランブル」

当然のことながら、司法の判断は現行の法制度の範囲に限られる。仮定を判決文に盛り込むのが難しいことは已むを得ないだろう。

ただ、受信契約を巡って2006年から11年も裁判で争うというのは、被告男性はともかく、NHKにとってもバカバカしくはなかったのだろうか。

というのも、その間にテレビ放送をめぐる状況は大きく変わっているからだ。2012年に完了した、アナログ放送から地上デジタル放送への完全移行である。

2001年にデジタルデータ放送がスタートしてこのかた、市販の液晶テレビはコンピュータとしての機能を内蔵していて、インターネットに接続できるようになっている。

例えば現在、各家庭のテレビでは、WOWOWスターチャンネルなどの有料チャンネルは契約を結ばないと映らない。真っ黒な画面に、「契約してください」というメッセージが出るだけだ。

しかし、実は放送データそのものはテレビまで送られてきている。業者の側で未契約の端末を識別し、通信をわざと撹乱する信号を流して、映らないようにしているのだ。専門的にはこれをスクランブル」と呼ぶ。NHK-BSも、このスクランブルによって契約者の端末を判別している。

2012年4月以降、日本国内のNHKの番組は基本的に全てデジタルデータ放送となった。10年以上もかけて裁判をする暇があるのなら、その間に、受信料未払い者に対してスクランブルをかけ、NHKだけ映らなくすることも技術的にはできたはずだ。

例えば、「受信料の支払いと引き換えに、スクランブルを解くパスワードを発行する」というシステムを作るのは、そう難しいことではない。受信料を払え・払わないの押し問答も、それだけできれいさっぱり解消する。NHKにもそのくらいの知恵者はいるだろう。

パソコン・スマホも受信料請求の対象?

情報技術の変化を軸として今回の受信料問題を考えると、映像を含めた情報の取得・処理・発信プロセスがたどってきた民主化、自由化の軌跡に思いが至る。

メーカーディペンドのメインフレームが中心だった1970年代まで、「情報」とは特定の専門家が特殊な技術を使ってコントロールするのが当たり前のものだった。そのため、情報を取得する際の料金を、「素人」たる利用者から一方的かつ強制的に徴収することができた。

ところが、80年代に登場したパソコンが「誰でも情報発信できる時代」の幕を開け、90年代にはインターネットが情報の取得と発信をさらに民主化し、「誰でも」に加えて「どこでも」の時代になった。

2000年代に本格化した情報のデジタル化は、コンピュータ分野の枠内にとどまっていたIT技術が外部への侵食を始めたことを意味していた。

テレビもその例外ではなく、デジタル放送に移行したのち、従来のテレビの枠組みは急速に崩壊の危機にさらされることとなった。

インターネットのVOD(Video on Demand)、YouTubeUstreamニコニコ動画といった21世紀型動画サイトの登場。Netflix、Huluといった質の高い課金制動画配信サービスの台頭。これからの10年、映像配信サービスはいずれAI(Artificial Iintelligence)と結びつき、より密な双方向性を備えるようになるだろう。

テレビを視聴する機器の面でも、携帯電話向けのワンセグ放送が始まり、テレビチューナーを内蔵したパソコンが登場し、スマートフォンが数年間で急速に普及した。

20世紀のテレビはブラウン管方式で重く、居間の隅に固定するのが常識だった。それが21世紀に入って10年もしないうちにポータブルになったかと思いきや、今はポケットに入る大きさ・軽さだ。通勤電車の中でテレビを観る日が来るなど、誰も考えていなかった。

しかし現行の放送法NHKは、こうした変化を考慮し採り入れることなく、いまだに半世紀前の認識にとどまっている。

あまり知られていないことだが、すでにNHKは、「パソコンや携帯電話も受信料請求の対象」とする見解を示している。そのうち、通信キャリアや家電量販店、パソコン販売業者などに、「機器購入時の受信契約の代行」を依頼することを許可する条項が、放送法に追加されるかもしれない。

そうなれば、たとえ「NHKなんて見ていない」といくら主張しようと、パソコンやスマホタブレット、カーナビなどを購入した・所有しているというだけで、NHK受信料の支払い義務が発生することになる。むろん裁判に持ち込む手はあるが、今回の判決が前例となる以上、利用者の側に勝ち目はない。

「知る権利」を再定義しよう

放送法は国民の「知る権利」を担保するものだ、と最高裁はいう。その健全性を維持するために、利益の享受者=国民が均等に負担するコストがNHKの受信料なのだから、受信料を払うことが義務づけられるのは当然という考え方だ。

つまりNHKの受信料は、ほとんど税金に準じる扱いを受けているのである。

NHKの会長人事や予算編成は国会審議にかけられる。しかし、それらを協議する経営委員会の委員の任命権は総理大臣にある。「公共放送」の名のもとで官製の情報が一方的に流され、政府に都合の悪い情報が後方に追いやられるとすれば、「知る権利」という錦の御旗にも疑問符がつく。

NetflixやHulu などを除く既存の動画配信サービスの多くは、コマーシャルで成り立っている民放と同じく、広告を主な収入源としていて視聴者に受信料を求めない。

こうした動画サービスと、旧来のワンウェイ型の放送の決定的な違いは、匿名のユーザーが自由に見たいものを選択し、コンテンツを発信したりコメントを書き込める点であることは言うまでもない。まさにそうした仕組みが、新しい形の「知る権利」、「知らせる権利」を保証していると捉えることもできる。

高齢者はともかく、長年にわたり「テレビ離れ」が指摘されている若年層は、横並びで押し付けられる情報ではなく、個人的に共感できる等身大の情報を求めている。

最高裁大法廷には、このような変遷と将来のテレビのあり方まで視野に入れて、デジタル時代への対応を促す文言を盛り込んでほしかったが、それは高望みというものなのだろう。