端午の節句

 中国でいう「旧暦」には夏歴と周歴と商歴との3種類がある。夏の時代、周の時代、商の時代に使われていた暦法のことである。その違いは一月にある。十二干支で数えると、夏歴では一月を「寅月」とした。その一方、周歴では一月を「丑月」としたが、商歴では一月を「子月」とした。
 そこで、旧暦で「午の月」は五月にあたる。「端」は「始まり」の意味です、「午の月」の最初の「午の日」が「端午」と呼ばれる。

 www.baidu.com によると、この端午の日を風習とするのは、中国春秋戦国時代の楚で始まった。この日、人望を集めた政治家及び詩人である屈原が失脚し、失意のうちに汨羅江に身を投げた。それを知った楚の百姓たちは小船で川に行き、太鼓を叩いてその音で魚をおどし、さらにチマキを投げ、屈原の死体を魚に食べされないようにしたという。
 これがチマキの起源であるという。今日のドラゴンレースの始まりとも言われる。
 ただし、上記の説は「中原地方」での説である。われわれ江南のような南蛮地方では、違う伝説と違う風習がある(中原地方を中心とし、その南にある地域を指す。四夷のひとつで、揚子江以南の総称だった。のちに中国の版図が広がったために、「南蛮」は現在のベトナムビルマ、タイなどインドシナ地域を指すようになった)。

 旧暦の五月(一般的は新暦の6月にあたるが、遅くとも7月月末までには終わる)になると、急に暑くなるとともに、虫や鼠たちの動きも頻繁になる。昔からその時期になると、病気にかかりやすく、なくなる人が多かった。そのため、五月のことを「毒月」と呼んでいた。「厄除け」、「毒除け」をする意味で、菖蒲の葉を門に刺すことで、一年の健康を祈願する。なので、五月のことを「菖月」とも呼ぶ。
 それから、端午の日には必ず「五黄」を頂く。
 「五黄」とは「雄黄酒」と「黄&鱔」、「黄魚」、「黄瓜」、「咸鴨蛋黄」の5つの食べ物である。
 「雄黄酒」の「雄黄」は漢方薬で、解毒効果がある。外用も内服もできる薬だが、病気のない人が内服すると毒性ある。だから、昔は「雄黄」を酒に入れて飲んでいたが、今は普通の「黄酒(紹興酒)」を飲むようになった。
 「黄鱔」とは田鰻(タウナギ)のことで、消炎、消毒効果がある。
 「黄魚」とは「フウセイ」という黄色い海の魚である。貧血、失眠症、眩暈等には利く。
 「黄瓜」はキュウリのことで、清熱、解毒などの効能をもつ食材である。
 「咸鴨蛋黄」とは塩水に30日間近く漬けている鴨の卵の黄身のことを指す。
 今の時代、食べ物や伝説に拘ることが少なくなったが、端午の節句が祝日と定められたことによって、週末と重なって三連休になった。年末年始ではなくても家族団らんのめでたい日になったのである。