全庁OSS化を達成した背景に財政破綻の危機感があった 栃木県二宮町

 二宮町は「行財政緊急改革実践プラン」に基づいて役所のパソコン140台にオープンソース・ソフトウェア(OSS)を全面的に採用、5年間で人件費、物品購入費、維持補習費および情報化経費を30%圧縮した。基幹系情報システムは県内IT企業に委託し、端末はWindows系で運用しているため、OSS一辺倒でなく、レガシーシステムとの共存も図っている。OSS採用を推進した背景に何があったのか、技術的な課題をどう乗り越えたのか。

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二宮町庁舎

ご近所さんの役に立つ行政サービス

 情報システムのコスト圧縮は、電子自治体構築の目的の一つだ。その“切り札”として国はオープンソース・ソフトウェア(OSS)の利活用を推奨しているが、既存システムとの関係から一気の普及にいたっていないのが実情だ。そうした中で二宮町は2005年2月、事務用のデスクトップ・パソコン139台をOSSのOS「Linux」に、併せてデスクトップ・スィート(ワープロ表計算など)をOSSの「OpenOffice.org」に切り替えた。

 その後、情報系サーバーにもLinux(OS)、bind、apachepostfix、Samba(ファイル管理)、fireFox(Webブラウザ)、Mozilla-mail(メール)、Ghostscript+Redmon17(プリンタドライバ)など、OSSで提供されているソフトウェアを体系的に導入している。町のWebサイトのトップページにOpenoffice.orgダウンロードサイトを表示するほど徹底しているが、旧来のWindows環境との整合性、MacOSとの共存なども図られている。

  「まず個人的なバックグラウンドからですが」と総務企画課の海老原慎一氏は話し始めた。

 「町の職員になったとき、最初の仕事は土木測量、次にやったのは土地台帳の管理でした。今から20年以上も前ですが、土木測量の結果からコンクリートや土砂の立米を計算するのは大変な作業でした。それから土地台帳の路線価を計算するのも、一苦労でした。路線価が改定されると、すべて過去にさかのぼって計算しなおさなければならないからなんです」

 徹夜の連続に閉口し、当時やっと出始めたパソコンを購入して、表計算ソフトで計算できるようにした。

 「プロセッサは8ビット、OSはCPM/86ベースのメーカーオリジナル。自分でプログラムを作って操作はコマンドを入れて。ディスプレーは緑色がギラギラ、目がチカチカするブラウン管という時代です」

 パソコンは16ビットから32ビットに、OSはMS-DOSからWindowsになり、日本語ワープロ表計算ソフトは機能・性能、操作性がどんどんよくなった。文書管理に専用ワープロを入れようという話が持ち上がったとき、海老原氏はパソコンの日本語ワープロソフトで対応し、文書処理に使っていないときは他の業務に適用することを提案した。

 また、現在のように安価な専用ルーターが製品化されていなかった1990年代の前半、独学で技術を習得してオフィスネットワークを構築したこともあった。いつのまにか海老原氏は、庁内の情報システムに深くかかわるようになっていた。そればかりか、情報システムに関して何か新しい計画を作るとき、職員が「まず海老原さんに聞いてから」というリーダー的な存在になっていた。

 「個人的に、自宅のパソコンにLinuxOpenOffice.orgをインストールして使っていたんです。どんなものか知りたかったし、使えるものなら役場のシステムに採用できないかな、と考えていました」

 面白いエピソードがある。

 海老原氏は自分の活動を「私利私欲の行政サービス」と明言する。ここでいう“私利私欲”とは、「自分の家族や友人、ご近所さんの役にたつこと」を指している。どういう人がどんなシーンで使うかを考えながら、システムを設計することが第一。またシステムをできるだけ安く作って、浮いたお金を学校や福祉施設に回すことが第二。そのために平成10年、役場庁舎が新築されたとき、業者の人と一緒に庁内LANの敷設工事をした。

合併協議が白紙に

 e-Japan構想が公表された平成13(2001)年度から、二宮町が取り組んだのはネットワーク環境の整備だった。基幹系システムは県内のIT会社に委託していたので、電子申請・届出システムなどが主なテーマになった。ところがそうしたシステムを住民が利用する域内のネットワークは、従来のナローバンドしかなかった。

 もう一つ、情報システムそのものの改造を保留したのは、近隣市町村との合併協議があったためだ。翌年2月、芳賀地区広域行政事務組合に合併研究会が設置されたのを皮切りに、芳賀郡市町村会での検討を経て、平成15(2003)年3月、真岡市、二宮町益子町、茂木町、市貝町芳賀町の1市5町による合併協議会が発足した。

 協議会では地方税の取り扱いや行政区の取り決め、町名字名、新市事務所の設置場所まで話が進んだが、途中で脱退が出るなどして翌16(2004)年8月、解散となった。二宮町は引き続き真岡市との合併を模索したが、同年11月、二歩宮町が合併協議の申し入れを取り下げるかたちとなった。

 そうしている間に、全域ブロードバンド化について前進があった。NTT東日本二宮町内75局のADSL対応を決定したのだ。そこに合併協議の見通しがはっきりしたことが重なった。

 二宮町が合併に固執した背景には、いうまでもなく財政難があった。平成5年に約16億円だった町税歳入が10年間で2億円も減少、地方交付税も平成12年度の23億3000万円が15年度に17億円となっていた。町の起債残高は83億9000万円で、このまま推移すれば2010年度に財政が破綻するシミュレーションが示されていた。

 「コスト圧縮は情報システムだけに課せられた課題ではなかったんです」

 と海老原氏は言う。

 平成17(2005)年2月、「行財政緊急改革実践プラン」が策定された。平成21年度までの5年間にわたる計画だが、進捗状況に合わせて毎年見直すこととした。PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルのスパイラルで、部分最適化から全体最適化を目指す。情報システムにOSSを採用することにしたのは、そのような切迫した事情があった。

 これを受けて、総合企画課は町の職員を対象にパソコンの利用状況を調査している。どのような業務にどんなアプリケーションソフトを使っているかにポイントが置かれた。するとグラフのような結果が出た。住民記録、税、福祉、財務会計など基幹系システムは、県内のIT企業が開発したWindows系アプリケーションに依存しているので除外せざるを得ないが、インターネットやLGWAN、非定型業務の大半がOSSに置き換えることができそうだった。

 また部署別のシステム運用コストを調べると、すべての部署で上昇していることが分かった。平成15年度は総額9461万円だった情報システム費が、16年度は23%増の1億1645万円だった。OSSに移行すれば、長期的に見て、間違いなくコストを下げることができる。

 自宅でOSSの特性をマスターしていた海老原氏は、当面の方策として庁内にある約150台のパソコンで使っているOSとデスクトップ・アプリケーションのOSS化を考えた。OSをWindowsからLinuxに、オフィス・スィートをMS-OfficeからOpenOffice.orgに、WebブラウザをIEをFireFoxに、メールソフトのOutlookMozilla-mailに切り替えることにした。

 ただしWindowsに依存するアプリケーションがあったり、移行が困難な場合を想定して、Windows端末を各係に1台ずつ残し、LinuxでもWindowsMacOSでも適正なプリントアウトが可能なように、文字コードとして「UTF-8」を、Windows用プリンタを継続使用できるドライバGohstscript+Redmon17を採用することとした。

 OSSの採用は庁内に限らなかった。域内8の小中学校や出先機関にもLinuxパソコンを導入し、ネットワークサーバーにSambaを採用した。ここにもWindowsパソコンを残したが、その場合には遠隔地のWindowsをリモートで操作できるフリーソフトVNC」を使った。そうすることで手許のLinuxパソコンが擬似的にWindowsパソコンに切り替わる仕組みだった。

綿密な移行計画を立てた

 OSS移行プロジェクトの推進体制は、町長をトップに、助役が実務全体を統括し、その下に部署ごとの情報セキュリティ管理者15人による情報化推進委員会を置いた。総務企画課は情報化推進委員会に具体的な方策を提案したり、実務を進める調整の役目を担った。外部のITパートナーとしてNECの宇都宮支店が窓口となり、IBCSNECソフト、ノベル、キヤノンがコンソーシアムを組み、さらにOSSコミュニティのOpenOffice.org日本ユーザー会が協力した。

 いきなりLinuxOpenOfficeに切り替えて業務に混乱が生じることは絶対に回避しなければならなかった。そこで移行前に、全職員を対象に研修会を実施し、閉口して全職員が使用しているパソコンのプロファイルを移していった。

 時系列でまとめると次のようになる。

 2004年2月 行財政緊急改革実践プラン策定

    6月 全職員のパソコン利用状況調査

      情報化推進委員会設置

 2005年1月 全職員向けキックオフ説明会

      OSS移行準備開始(~2月8)

      全職員のパソコンのプロファイルをLinux環境に移行

    2月 職員研修(7日~16日)/Linuxの基本操作、Writer(word相当)、Calc(Excel相当)の操作について、実務ベースの実践的研修。

2月 機器入れ替え(20日~28日)

3月 実証使用(3月1日~5月31日)

 実証使用の3か月、OSS環境に移行したことに伴って職員から寄せられる疑問や課題に、その都度対応するサポート部隊を用意した。ここでは日本OpenOffice.orgユーザー協会が全面的にバックアップしてくれた。また職員同士で情報を交換できるよう、庁内WebにXOOPSを立ち上げた。

 「できるだけ自分で問題を解決してほしかった。すぐ解決できないにしても、ヒントを得ることができれば、職員の情報リテラシーが向上すると考えたんです」

 

 移行初日から毎日10件前後の問い合わせが入ったが、7日目に40件と跳ね上がった。以後の1週間、毎日30件以上の問い合わせが入ったが、急速に減少していった。

 「各原課に配置したITリーダーに情報(知識)が蓄積され、ヘルプデスクに問い合わせる前に原課で解決できるようになったのではないか」

と海老原氏は見ている。

 メールベースのヘルプデスク、XOOPSによる自己解決支援体制、原課に配置したITリーダーの組み合わせが、OSSのナレッジ蓄積に役立った。

 ただし、二宮町だけで解決できない問題もあった。LinuxOpenOffice.orgの文字セットが原因で、文書ファイルをPDFに加工したとき、フォントが正しく表意されなかったり、空白になるケースが発生した。また濁音、半音が正しく表示されないこともあった。

 「対処策として、残留したWindowsパソコンで処理しました。しかしそれでは根本的な解決にならないので、開発コミュニティに問題を提起し、変換ツールを作っています」

移行後の評価はどうだろうか。

 まず職員の意見では、「windowsに戻してほしい」という意見は3件と、意外なほど少なかった。「必要な機能を見つけられない」「機能が足りない」という意見もあった。群を抜いて多かったのは「使って慣れるのがいちばん」という意見だった。

 「積極的にOSSを支持しているわけではないが、とりあえず業務に支障はないし、財政事情を考えれば止むを得ない、といったところでしょう。ですが間違いなくいえることは、OSS化したら業務の効率が上がったということです」

 同一業務の一件当たり処理時間をストップウォッチで計ったのだという。

 すると、被験者10人のうち7人まで、「効率がアップした」という結果が出た。OSSの特性や操作の理解度、習熟度によって個人差はあるが、OJT的な研修が効果をあげたことになる。

だが課題は残っている

 「国や県から送られてくる調査票や報告書が、WindowsやMS-Officeに依存しているケースが少なくないんです。これは残留WindowsパソコンをVNCで解決しました。またビジュアルBasic(VB)のマクロについては、対応するデータ移行ツールを開発したので問題は起こっていません」

 OSSへの移行に伴うコスト圧縮効果は、オフィス・スィートやウイルス検出・除去ソフトの更新が不要になったこと、老朽化したパソコンを買い替えせずに済んだこと、並行して実施したプリンタなど周辺機器の統合で消耗品費が減ったことなどで、約3000万円と算出している。

 しかし二宮町の場合、ヘルプデスクなどユーザーサポートは日本OpenOffice.orgユーザー協会が無償で行ってくれた。また既存システムを並行運用する費用がかかっている。

 「それを考えると、OSSへの移行がただちにコスト圧縮につながると言い切るのは、ちょっと危険だと思います。つまりシステム全体の運用管理にかかる費用は増加しますが、OSSの方が価格的に優位ということは間違いありません」

 OSSに関心を持つ近隣市町村から、問い合わせや相談が海老原氏に寄せられている。

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 栃木県の東南端に位置し、東に小貝川、中央に五行川、西に鬼怒川が流れる。地勢は平坦で、農業が盛ん。町役場まで東京からの交通アクセスはJR小山~下館~真岡線久下田(くげた)駅下車、車で15分ほど。

 1954(昭和29)年、久下田町、長沼村、物部村が合併し二宮町となる。町名の由来は、江戸後期に二宮尊徳の指導に従って地域再生に成功したことに因っている。

 3本の河川と肥沃な地味を生かし、農業はイチゴ(トチオトメ)栽培が50%を占める。工業は平成14年度工業統計で61事業所、商業は平成18年6月の商業統計で191店舗を数える。

 面積55.45K㎡、人口1万6592人、世帯数4739世帯(2007年1月末現在)。