スカイツリーのオーラを浴びながら 1/4

しっとり感の下町散歩

早稲田から都電荒川線で三ノ輪商店街へ


昔の東京の面影残る都電荒川線からの景色

 高校を卒業して49年、毎年恒例のクラス会で、幹事がいつもの宴席の前に、都電荒川線と徒歩による下町散歩を企画した。こうしたイベント、最近出席率を上げているので迷わず参加。団塊男子10人弱、東京見物の定番コースなのか、幹事の工夫が巧みだったのか、実に味わい深い、印象に残る下町探索となった。ちょっと一筆、読んでほしくなった。


見事な薔薇の花に包まれた都電荒川線

 まずは集合場所にして出発点は都電早稲田駅早稲田大学裏のこの駅は知っていたが乗ったことはない。というよりも東京育ちであってもそもそも大人になってから都電に乗った記憶がない。数年前に大連でそっくりなのに乗った。このとき車内で乗客の会話、もちろんあの中国語、を極めてやかましく感じた記憶がある。昨年はリスボンで急坂を登ったり下ったり、路面電車を楽しんだ・・・、などなど、思い出してみた。

 荒川線は正確には路面電車ではなく、専用軌道を走る。が、しかし昔の面影で満たされていた。行き交う車両の種類は様々で結構モダンなデザイン、あざやかな色のものもある。<br>乗った車両の座席は通路を挟んだ向かい合わせではなく、一列に進行方向を向いていて、丁度2列目だった。運転手と一緒に追う正面の景色は、昔の東京、というか昔の日本の雰囲気がいっぱい。<br> 乗客は多い。各停留所で乗ったり下りたり、とっても賑やか、充分に活用されているのがわかる。<br> いつも墓参り、というよりも墓掃除に駆り出される墓所のある雑司ヶ谷を通り、渋沢栄一の痕跡を追って何回か訪れた飛鳥山をぐるりと回って、王子駅前から先は未知なる世界だった。<br> 途中からなんと線路の両側が見事な満開の薔薇の植栽で包まれている。沿線のあちこちでカメラのレンズを向けられる。この日は5.15の日曜日、首都東京にとって歴史的な日なのだが、全くの平和な風景が展開されていた。

 終点「三ノ輪橋」の1つ手前、「荒川一中前」で下車するよう幹事に指示された。ここからぞろぞろと、一直線の長いアーケード、三ノ輪商店街を通り抜ける。
 いやー、びっくり仰天。そこは、まさに昔の東京だ。今でもアーケードはいろいろなところで見られる、が、三ノ輪商店街は、関西や、あるいは地方都市のものとは味わいが違う。しばしば通路まではみ出した洋品屋さん、靴屋さん、八百屋さん、お総菜屋さん、魚屋さん、これが東京、下町といった感じなのだが、それが今にも消えていってしまいそうな雰囲気が漂っていて、なんとも言えない。
 日曜のせいか閉店しているところ、明らかに廃業したところ、そして新しく建て替えられたところ、更地のところなど、調和しない意匠に浸食されながら、開店している昔の日本が懸命に生きている、という感じである。砂場というおそば屋さんが商店街のアクセントになっていた。
 

昔の東京・下町が生きている三ノ輪商店街


 昔の街並みを保全、あるいは再現していても、それがお土産やさんなど観光客相手の施設で埋め尽くされていては生きている街にならない。三ノ輪商店街は生きていた。アーケード下の正面の通りだけでなく、そこから見える枝の路地に並ぶ箱植えの植物や小さなお店が、変わらぬ日本、変わらぬ東京の味わいを一層深めてくれた。

(神谷芳樹のオフィシャル・エッセイ)