2つの技術史展示館を訪ねて(5)

NTT技術史料館の展示、電信電話ことはじめ

 もうひとつの施設見学は、NTT技術史料館。筆者は新卒後、横須賀電気通信研究所を皮切りに、NTTグループの組織に都合30年間在籍した。この史料館にあるのはいわば古巣の知った歴史だ。今回は動画入りのタブレットによる自動ガイドに導かれて3時間コースでじっくり見学してみた。
 こちらの展示はペリーの黒船来航にはじまる。これは古河市兵衛に負けない。戦争による破壊、戦後の復興、全国即時自動化、積滞解消、そしてデータ通信からインターネット、モバイルコンピューティング、現代まで、我が国の電気情報通信の歴史と技術の全貌が実物を前にしながら見渡せる。
 電話の自動化、現代の若者が想像できない国家目標の一つだ。電話交換を人手でなく、機械で自動的に行うこと、この方式を全国に普及させることが国家目標だった。「積滞」、この言葉は今日、ワープロの日本語フロントエンドでも出てこない。電話会社に申し込んでも待ち行列に入れられて一向につかない電話開設申し込みの滞留である。これを解消することが国家目標になり、このために膨大な人々が長期間莫大な努力を重ねることになった。
 NTT技術史料館、行けども行けども、見渡す限り並べられた実物を前にしての3時間の迫力は圧倒的だ。

 ちょっと前に、真田ブームで光の当たる信州、松代で佐久間象山を祀る象山神社を訪れたのを契機に、佐久間象山の生涯を追ってみた。迫り来る西欧の脅威の中で、電信は格別の意味があった。なんと佐久間象山は電信機を自作してしまった[3][4]。

[3]神谷芳樹:「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(4)
佐久間象山」:松本健一に導かれて(上)象山神社の謎、IT記者会Report、2015年11月
[4] 神谷芳樹:「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」(5)
佐久間象山」:松本健一に導かれて(下)天下にかかわり有るを知る、IT記者会Report、2015年11月


 佐久間象山は電信を文書で知ったが、そのホンモノはあの黒船のペリーが置いていった。この経緯、先日あらためて通読した島崎藤村の「夜明け前」にたっぷりと記述されている。電信は日本に西欧文明の実力を示し、開国・通商を迫る恫喝の材料だった[5] 。

 

[5] 神谷芳樹:『夜明け前』の「電気情報通信」、「幕末・明治モノ」に覗く「電気情報通信」特別編、IT記者会Report、2015年12月

 

 この史料館のスタートはこの電信機による安政元年の公開実験からである。
逓信省電電公社、そしてNTTの歴史は、いわば、この恫喝のつづきのドラマ、威嚇された日本がそのあと160年にわたってとった振る舞いのすべて、ということになる。

 史料館の広いビル、4フロアを埋め尽くす展示では、線路・伝送・無線・土木・交換・移動・宅内・画像・データ・ソフトウェア・インターネット・オペレーション・建築・電力・基礎・基盤・衛星、さらには国際標準化・海外活動・環境保全と、ありとあらゆる領域の研究・開発の経緯と成果が並ぶ。もちろんDIPSの実機もあるが、その莫大なソフトウェア開発についても、沢山のパネルで紹介されている。

 いったい何なんだこれは。ようするにこちらも全部自分で作り、実用化し、商用に供し運用してきたということである。もちろん海外の先達への追従や技術導入はあった。が、それでも最後は全部自分で作り、かなり最近までほぼ完全な垂直統合状態だった。

 しかも、自らはサービス企業、オペレーション・カンパニーに徹し、これらの開発・製造は国内の製造メーカを大動員しての実現だった。電電公社時代は国で定めた独占企業だったが、国費は投入していない。民営化以降は国内外の激しい競争環境の中の事業展開である。あくまでも電気通信事業としての研究開発だった。
 今日、電気情報通信はどの国にとっても必須の道具立てだが、世界中でこうしたアプローチをとったところは極めて少ないだろう。世界に200ヵ国あっても、この技術史料館のような施設を持てる国、そして企業は数えるほどしかない。
 翻って現代のNTTグループを見れば、多くの日本企業の世界への飛翔にあわせて、こうして築いた技術・経験をもとにその事業を全世界に展開し、グローバル・メジャー・ブランドへの道をまっしぐらに進んでいる。もちろん技術も提供するサービスも、グローバルな水平分業、精緻なエコシステムの中に埋め込み、世界の舞台で重要なプレーヤの位置を占めようとしている。

 今回訪ねた2つの施設の展示には、日本の産業界、そして日本人の、他の国々では一朝には持ち得ない計り知れないポテンシャルが見える。今日、日本の将来にネガティブな見識を披露する人は多い。しかし、こうした人々がこれらの展示を訪れ、現代社会の表層だけでない日本を深く見つめれば、その誤りを実感出来るだろう。次代を担う若者には、是非こうした施設でじっくりと先人の努力に対峙し、世界と伍して行く日本と日本人のポテンシャルを悟ってほしいと思った。

NTT技術史料館の展示 交換機
 
  • 本文中、歴史的人物、社会的組織の敬称を略させて頂きました
  • 謝辞:施設をご案内頂いた富士通沼津工場に謝意を表します

(神谷芳樹のオフィシャル・エッセイ)