なぜ日本に来たのか

 日本に入国して10日間が経った。「なぜ日本に来たのか」と来る前から聞かれて、一昨日もまた2回ほど問い詰められた。答えは一つだけで、「日本が好きです」。大学で日本語を選択した理由もそれだった。なぜ好きだったのか、「好きになった理由なんてない」と答えたかったが、人を納得させる理由はやはり何か必要みたいだった。
 笑わせるなと言われてしまうかもしれないが、筆者は中学校を卒業した時点で、中国のテレビ番組に日本のドラマが初めて流れ、それらドラマの中で日本の方々の仕事振りやマナーには感心し、一瞬で日本文化が好きになった。そのため、大学の希望欄には迷わず「日本語専攻」を書き込んだ。その文化を学ぶために、大学時代は日本への留学も考えていたのだが、少し環境が変わり、その夢を諦めるしかなかった。
 今回来る前に中国の知合いから、「今さら日本へ行く冒険をする必要があるもんか」と言われていた。いい歳になったのは事実だが、昔の夢を叶うためにまた努力を始めるのはよい事ではないでしょうか。もしくは、いい歳になった今こそ、頑張らないと将来絶対に後悔すると信じている。
 「日本の文化が好き」ということもまた問い続けられるが、それは中国古来の伝統文化を守ってくれているから。その日本文化の中でよい一面が好きで、特にきちんとしたマナーを身に付けたいと思っている。
 歴史上にいろいろと揉めあいになり、紹興の祖母の実家も日本軍によって被害を被ったのは事実であるが、いつまでもそんなことを気にしてはキリがない。
 何処の国でも誰でもよい一面と悪い一面は持っている。何処の国にもよい人と悪い人がいる。心からその人が信頼できるよい人だと思うなら、国籍とは関係なく、笑顔でその人と付き合いたい。
 正直に言うと、今もまだ迷い続けている。
 マナーとはほとんど建前ではないかと中国国内ではよく議論されている。
 「日本人はいつも敬語を使ってちゃんとお辞儀もするのだが、心の中ではどう考えているかは分からない」と。
 筆者は今まで中国で丁寧語は使っていたが、尊敬語と謙遜語はめったに使わない主義だった。特に親しい人には敬語を使いたくない。
 感情的だと自分もそう思うのだが、お客様等に対してすぐ「友達」と「付き合いたくない」と2種類の標示を付けてしまう。「女なのに敬語は使わない」、 日本の方々の目から見ると絶対変だと思われるが、敬語を使うとその親近感が失う感じをしたのである。「上品さ」と「親近感」、どちらを選ぶか、時には「親近感」、時には「上品さ」、こういうふうにずっと悩んできた。
 なお、マナーとは敬語のことだけではなく、「ちゃんと信号を守ること」や、「車より人優先」、「ポイ捨てはしないこと」、「ちゃんと並ぶこと」、「公衆場所では騒がないこと」等、すべての日本人が100%守っているではないが、そういうような優れた所は中国の人々にも学んでほしい。
 1500年ほど前に、日本は中国の文化を勉強するために遣唐使長安まで派遣していた。100年ほど前に、中国を救おうとの思い一心で孫文魯迅等は日本へと渡ってきた。筆者はそんな偉い人ではないが、個人的に好きだから来たのである。「隣の芝生は青く見える」かもしれないが、隣の家に入って、その芝生をちゃんと見ないと判断できないと思っている。